一個人と感じたのは離乳食あたり

今日は子ども②と約束していた
マックフルーリーお腹にINしました。話の中で食べたいな、と言ったら「じゃあ明日食べようよ」ってナイスな提案をしてくれたのでウキウキしておりました。こういう何気ない事を一緒に出来るのも今のうち、嬉しいです。
私ががんだから特別ということではなくて。
子どもは「自分の世界」を
自ら築きその世界で生きていく。ゆくゆくは仕事やパートナーやもしかしたら家族を作るかもしれない。
子どもが生きる世界に親は時々招待してもらい楽しい時間を共に過ごす事はあるだろう。でも、夫と私が作った家族から飛び出して新たなフィールドを作る年齢まであとほんの数年だ。
何気ない親子のやりとりは必然と少なくなるものである。
だからこそ、この当たり前にできる「明日一緒に〇〇しようよ」と誘ってくれる事はanytimeOKなわけで、むしろ食い気味で「合点承知」な貴重なウキウキだ。
1個人、そう子どもが自分と違う
「一個の人格」だとわかるのは離乳食あたりからかな。それでもまだ母の守るエリアにいる。幼稚園や保育園、それ以降は集団の中に一人飛び込んで自分と他人の距離を学んで行くのだ。
小学生いっぱいくらいはしょぼんとしていたり、どうしたらいい?なんて悩み事を打ち明けてくれるけれど、比重はだんだん友達へと変化していく。
高校になるとほぼ個人だ、
個性がぶれずしっかりする。中学生はそこへ至る道程、親に友達に先輩に先生、相談する範囲が広がり自分というものが見えてくる年齢かな。
だから母親が心をフォローしてあげられるのはざっくり16〜18年、そんな所だと思う。
我が家は二人とも15〜16才くらいで自分の世界が出来上がっていた。子ども①、子ども②、二人とも性格も生き方も友人との距離感も全く違い、そして仲よしさん。
だから子どもと真剣に向き合い、
人に優しく、嫌な事されたら断ろう、がんばって、チャレンジしてみない?なにやってるの、ごめんなさいは?、明日頑張って言ってみようね、
そんな会話を母と子で、そして時に「くー、がんこな」やら「おいおい、優しすぎるんじゃ?」とか「お願い譲ってあげろー」とか心で思いながら、子どもとガチで対話する時間は思っている倍少ないと言っても過言じゃない(笑)。
子育ての時間って本当に本当にびっくりするほどあっという間だった。
大人と違い、昨晩は頑固だなーと思う程のこだわりを、翌日学校で友達と話してあっさり捨てて成長して帰ってくる。子どもの柔軟性は素晴らしい。
気がついたら社会性を身につけた幼いながらも立派に一個人として育っていた。
夫と私ができる事は、
あとは進路の選択で相談された時、それに関わる費用、そのくらいかな。
子ども②もここ4ヶ月の成長は驚かされた。ほわわーんとソファに落ちている子だとばっかり思っていたけれど(笑)。
先生に相談し、友達に相談し、進路に向けて顔つきが変わった。それに伴い行動が変わり見ていて頼もしい限りだ。
こうやって間近で子どもの顔つきが変化する様子を見られることが嬉しい。
大人っぽっさと、あどけなさが同居している貴重な年齢。だから要望があれば母は喜んで叶えたい。いや叶えさせていただきたい。だって可愛いんだもん。
がんとわかり、先生の言っていた
余命だったら子ども②は高校への進学も夫と相談したのだろう、けれどその時夫がどのくらい心に余裕も持ち子ども②と向き合えるか、
シングルファーザーとなり仕事も家事もこなし子供の心まで汲む時間が持てるのか、私には想像してもわからない未来だった。
だから大学付属の中高一貫校へ入れてあげれば、中学からの友達と高校でも環境が変わらずに通え、子ども②にも夫にもベストではないだろうか。そう考えて決めた私の存在しない未来。
あらら?いるよ私
めっちゃ嬉しーなー
可愛いなー
嬉しいなー
可愛いすぎるぞ、おい
by中皮腫患者mochi
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