巣から飛び立て、若者よ。
- 2020.05.27
- 子供の心と成長
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私は2012年に、悪性腹膜中皮腫
(あくせい・ふくまく・ちゅうひしゅ)という、病名にがんとつかないがん患者となりました。
先生に「2年と思って」過ごすようにねと、いわいる余命宣告をうけました。
その頃、二人いる子どもたちは、まだ「進路」を具体的に考える年齢には達しておりません。
当時は、先生はがんじゃないから、健康だからそんな風に無機質に話せるんだ。それがまた辛くて悲しかった記憶があります。
今振り返ると、先生は
私の家族構成を知った上で「私のため」に言ってくださった期限だったと思います。
2年。そう言ってくれたからこそ、一緒に悩みながら子どもが自分の進路を考える様子を近くでのんびり応援するには時間が足りない、それを念頭に行動できたのだと思います。
結果論として、9年目を
今生きていますが、どのがんでもそうだと思うのですが、
進行スピード、部位、手術の可否、抗がん剤の選択、放射線、様々治療法が存在していても、すべての治療を自分の体に取り入れることはできません。
7年前はまだ、悪性腹膜中皮腫の情報は圧倒的に不足していて、自分で検索しても5年生きられそうにないことを厳しく受け止める以外、術がありませんでした。
これから、ぽちぽちと
子育て中の主婦ががん患者と宣告されてから、自分の感情、子どもの将来への心配、その時私が選択してきた道を綴っていきこうと思っております。
中皮腫の治療の選択について、
私は家族と相談はしませんでした。実母が「がんであることを隠して欲しい、死んでしまうかわいそうな病気と人に思われるから」と言ったのもありますが、(※実母は毒母で絶縁済みです)
告知を受け、「悪性 中皮腫 腹膜中皮腫 生存率」これらの検索ワードで情報を集めれば集めるほど、
「予後の悪い、5年生存率が数%」これが大袈裟ではなく現実の数字なのだ、と確認する作業にしかならなかったことが大きいです。
ですが、調べれば
調べるほどに、正解はないことも知りました。だから不安な気持ちを夫に吐露することや、感情をぶつけることはありましたが、
病気の治療選択は全て私一人で決めてきました。
中皮腫の研究や治療を行なっている病院や大学はほぼ、全国に電話して問い合わせたりもしました。
また、セカンドオピニオン(3カ所)を受け、先生に相談もしました。
それでもやはり、絶対という言葉は言ってくれません。しかし「私の今の体内」にベストな治療の提案、そして治療の効果をパーセンテージで伝えてくれました。
「やってみないとわからない」
治療、それを夫や母に相談して、後に後悔させてしまうのは申し訳ない。ならば、自分で決めて、後悔をする時も自分。それが家族にとっても、私にとっても、誰の負担にもならずに最良の選択だと思いました。
この経験が、子どもたちが
自分の進路をどの様に考えるのが良いのか、話をする時に役立ちました。
あの頃の私にとって、子どもが大学生になる未来を共にみつめる事など、あまりに遠く、希望を持つにはあまりにも絶望の存在感が大きくて、
とにかく2年の間に、子どもたちが自分の人生を「選ぶ」までのガイドラインを…、私が不在になるのが確実であろう未来のために、今私は何を準備し、何が先回り出来るだろうか…、それを考えていました。
現在、子どもたちはもう背中に
羽が生えています、眩しい未来が母の私にも見えておりまして( ´艸`)♡
下の子はあともう少しの時間、側にいられたら嬉しいですが、ここまで成長をみることが出来たので、欲張りはしません。
自分の翼で目を輝かせて巣立とうとしている子どもたち。
どうか自分のペースで無理をせず、大きな世界へそろりと羽を広げ、自由を生きてね。
母親とはこんな気持ちになるものなんですね。
by 中皮腫患者mochi
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