がん患者として生き始めて9年

がん患者として生き始めて9年

がんを抱えて共に生きる人生とは

微かな体内から発する痛みに敏感なり、検査を受ければ、結果を聞くまで気に病むし、5年後〇〇開催!などいうニュースを知れば「私には関係ないや」と思う人生でもである。

通院しているのは「がん拠点病院」なので、私には心理的負担が少ないのが良い。ここにいる人全員(付き添い除く)がん患者なのだ、という安心感があるのだ。

そう「がん患者は私だけじゃない」という安心感、リラックスさえ出来るようになった9年という通院歴。

なぜ安心感なのか?

私はがんの発見が、総合病院で受けた、卵巣嚢腫腹腔鏡手術中の腹腔内に無数に散らばった「中皮腫」を先生が見たのがきっかけだった。

卵巣嚢腫にも良性と悪性と境界型あり、場合によっては追加治療として抗がん剤投与という話は聞いていたが、術前検査で良性だろうと言われていたので、摘出した卵巣の心配はしていなかった。

だから退院し、術後診察を受ける日も、不安などちょっとも湧かず、のんびり近くでランチをしてから向かったぐらいだ(笑)。

詳しい経過は病歴についてご紹介をどうぞ♪

だからね、がん患者となった以降の総合病院での「PET検査」が辛かった。

健康な人が健診のために利用するメインの造りだったので、リラクゼーション的なね。あの時きっと「がん患者」は私だけだったと思う。

私は童顔、さらに室内は薄暗いので、実年齢より若く見えたと思う。

PET検査は薬剤が体内に巡るまで

1時間程度、何もせず横になるスペースが設けてある。

お上品そうなマダムたちは、私が入ったら「あら(察し)」という顔をしたので、がんと分かったばかりのぺーぺーとしては、かなり深く傷ついた。

好きで検査を受けてる訳じゃないんだもん(涙)、である。

もちろん、がん拠点病院での検査もね、私と同年代の人もいるけれど、検査室前待合などは、どちらかと言うと私の年齢は、付き添いの立場の方が多く、

「あらら(察し)」は今だってもちろんあるが、それでもがん拠点病院のほうがやっぱり気楽。

まずPET検査室の無機質さ加減(笑)。健診じゃないつくり、みんな腫瘍の検査できている、病名こそ違えどお仲間だ。採血も、CTもね。

がんを抱えて生きる事は、

自分ががん患者なんだと、いろんな場面で知らしめられる事でもある。慣れていく以外ないのでもある。

9年通っているがん拠点病院も、会計システムや検査結果の迅速さ等、進化している。昔は〇〇だったんだよなー、と浮かぶ時、あぁ10年ひと昔と言うけれど、近しい年月が過ぎたんだな、と。

やはり病院に、先生に、医療に従事されている方々全てに感謝の気持ちが湧いてくる。

それは今も私は「生きている」からなのだろう。

やっぱり病気は理不尽だ。

難治となればさらに理不尽は募る。

それでも理不尽と体の不調と心的負荷を抱え、生きるのが、

がんを抱えて生きるという事なのかもしれない。

そうぼんやり考えるがん患者である私。

by中皮腫患者mochi