生きる孤独、繋がる心、玄関のドアを開けるために

様々なことが起きるのが
世の理なのでしょうか。情報過多で少し思考が停止しており、太陽の光を燦々と浴びてはためく洗濯物、その光景に癒されてポーッと眺めてゆっくりしていました。
明日も等しく「今日」がやってくるはず、そう思って生きていてもやはり「まさか」は突然やってくる、これを何度も経験して人生は進んでいくのですかね。
避けられないものなのだとするなら、やはり「今日」を精一杯生きる、これに尽きるのでしょう。
でも落ち込む日や
上手く行かない日もあるわけで。
そんな日をどうやり過ごすのかも人それぞれで。ふと立ち止まりたくなる日もあるってことですかね。
人生を生きる上で努力ではどうする事もできないリアルはあるわけで、私で言うなら中皮腫ですが、自力でどうにかできる問題とはやはり違う角度の話。もちろん「免疫」という角度から話すなら気持ちや運動や食事等、できる事もあるのでしょうけれど。
人にはそれぞれ外見からは
分からない「痛み」がある。
私の病気を知らない人は、「楽しそうでいいね」「悩みなんてないでしょう」と見えるようですし、それは私が「癌細胞というリアル」に対し「悩む時間」をどれだけ割こうが「変化無し」と思っているからで。
だから、楽しそうで悩みなさそうに見えるのは「成功」で、そう言ってもらえるのは嬉しいのです。
けれど一皮剥いた私は、
機能不全家族に育ち虐待を経験し両親と兄、そして親戚と絶縁をしている。悪性腹膜中皮腫という希少癌に罹患し、体内に取りきれなかった癌細胞を内包している。そして虐待の体験が複雑性PTSDを発症し、これも治療を続けている。これから先「死」と直面しても私は本心を吐露出来る相手はいないかもしれないのだ。
だけど私だけが「不幸」を一人で背負っている訳ではないし、都度対面してきた「まさか」に対して自分の意志で出した答えで今この場所に立っているから後悔はない。あるのは寂しさだ。
でもね、例えば夫。
彼だって家庭があって「私」というパートナーがいるけれど、一人で戦って生きている。社会での彼、癌患者の妻、大黒柱としての責任、色々心の葛藤があるだろう、でも彼の孤独を私が代わってあげることは出来ない。
こんなに近くにいて手を伸ばせば触れられる距離でいても、自分の人生を生きるのは「自分」しかいないのだ。
だから人は孤独を抱えて生きるのだろう。
だから人は誰かと心が繋がりたいのだろう。
体を休める「場所」が必要なんだ。
その場所があるからまた玄関のドアを開け「一人」戦いに行くんだ。生きるってそういうことなんだろうな、と。
だから笑顔でいたい、トゲのある言葉を発したくない、元気がないと感じたら元気になってほしい、そう思い合える人と人が繋がって「私の世界」を広げていくんだろう。
でも私の世界は私だけで「夫の世界」と一部がリンクしているだけ、それは子供①も子供②も同様に。
だからこそ自由に生きることが
出来るのだし、誰と繋がるかを決めるのも自分だ。だから私たちは繋がっている、決して血縁という理由でなく繋がっていたいから。
難しいよね、自由とは孤独、とも言うしね。
夫に心から感謝している。
彼の肩にかかる重さ、社会人としての責任、それらを一人背負い生きる。パートナーである私の命すらも彼の心の負荷であるだろう、それでもなお「穏やか」に優しく、けれど守るべきもののために孤独に戦っている。
ありがとう、こんな当たり前な言葉しか出てこないけれど、本当に心からありがとう。
時に疲れたら休めるといいね。そっと心身を休ませてあげて。
疲れが取れたらまた歩き出せばいいんだ、そう思っていてほしい。
大切な私の世界の人たち
by中皮腫患者mochi
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