希少がん患者を生きる、それが私

私はアスベスト暴露により
「悪性腹膜中皮腫(あくせいふくまくちゅうひしゅ)」という希少がんに罹患し、10年目を生きる希少がんサバイバーである…というフレーズ好きね私…よく書いてるね( ´艸`) 。
そこに追加するのなら、希少がんがきっかけで毒親と絶縁し5年目でもある。だな、うん。
まぁこれが私を紹介するのに簡潔ではないかと思うのだ。
希少がん患者として重要なトッピング事項は、
「中皮腫というがん」に関する「団体・家族会・患者会」に一切属していません、今後も属すつもりまありません、だ。
私の発信するものは全て「私個人」の発信であるという事。
なぜここまで「属さない事」を書くのか?と
不思議に思われる方もいるだろうが、これは私が「中皮腫患者」として生き、見てきた様々な経験からくる。
アスベスト、国害、労災、弁護団、支援団体、支援者、遺族、患者、等々の会、それら運営…いろいろ全国にグループがあるのだが、それら全てに私は属さない。そして今後も属しませんという意思を明確に表示しておきたいの。
確かに私の横隔膜に悪性腫瘍は残ったまま閉じた。それは中皮腫、すなわちアスベストが原因で出来たがん細胞。だから私はアスベスト健康被害者である。
それは事実であるのだが、
いろんな支援や運営の方法があることを知ってしまい、正直関わりたく無いの。
治療方法の向上を求める事と労災関連が同じ世界線で語られる、そして支援の方法、それらに関して違和感が満載…それが偽りざる私の本心。
希少がん患者、毒親育ち、
自分ファーストに生きたい。見たくないものは見ないし、聞きたく無いことも聞かない、どこにも属さず自由に生きていたいのだ。
がん発見は卵巣嚢腫術中に「たまたま」見つかった。
その後、悪性腫瘍が集積している部位(子宮・卵管・ダクラスこう)と目に見える腫瘍は電気メスで切っていただいた。だが横隔膜にある悪性腫瘍は取り除かずそのまま閉じた。
私の体内の悪性腫瘍は中皮腫である。すなわちアスベストが原因である「希少がん」。そして今現在横隔膜の中皮腫を取り除く治療が私には存在しない。
悪性腫瘍に対してアプローチ出来ないが、存在し続けているのは事実であるから通院している。
7年以上誰にも
「悪性腹膜中皮腫」である事を言わず、独りがんを抱えて生きてきたのだ。これまでと一緒、私は「希少がん患者」なのだ。
ある日突然がんであると知り、治療が難しく生存率がビックリレベルで少ない病気。
でも早期なら手術が…、なんて望みが打ち砕かれ、抗がん剤すら先生が奏功率は厳しいけどほかに打つ手がない、なんて言われた5月。とても有名ながん拠点病院での私。
たまたまみつかった「中皮腫」、
たまたま手術が可能な病院があり、術後「余命2年」と言われた事で、抗がん剤追加治療をしないと決めた。
一週間の入院×6クール。お子と離れる6週間、ならばお子と過ごす時間を選び、やめた抗がん剤。だけどたまたま10年目を生きている私だ。
がんは個性が強くて、同病であっても、他の部位のがんであっても、同じように語ることは不可能だ。これは私の実感である。
やはりここは基本に立ち返る、
友とは何だ?
話して楽しい、よし私も頑張るぞ、と前を向ける、そんな心強い存在だ。そしてがん友とは、がんの不安を語ることができる。健康な友に話したら気を使わせてしまう案件だもの。
がん友の存在はとても嬉しい、それは同病も他のがんも関係なかった( ´艸`) ♡
愛してるよ、がん友よ!
やっぱりがんとつくかつかないか、だけの違い。友なのだ♪
だから私は「希少がん患者」として生きる、ただそれだけ。
by中皮腫患者mochi
-
前の記事
石綿健康被害、救済制度について 2021.05.01
-
次の記事
嬉しかった日曜日♡ 2021.05.11