生きる意味とは何?
- 2021.04.08
- がんと向き合う
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下の子どもが大学に入学してからの
私のテンションが少しおかしい(笑)。
私は下の子18歳になるまで、それまでの年月を何がなんでも「お願いだから生きさせて」、時に泣きそうに、時に前向きに、でも決して口に出さず密かに祈っていた。(がん患者となった母親(私)が秘めていた野望)
つまりはそれが「私の生きる意味」であった。
だから私は「生きる意味」を達成してしまった。
もちろんそれはとてつなく喜ばしい事であるのだが。
肩の荷がおりた、安堵、ほっとした、気が抜けた…様々な「安心」という感情を表現する言葉はあるけれど、どれも私の気持ちを言い表すには軽いと感じる程「安心した」大きな大きな「安堵」である。
先生の言う通りだったら、お子が小学5年生の時にお別れしていたかもしれない私とあの子。
薄い氷の上を恐る恐る、
それでも歩みを進める以外選択肢はなく、ぎゅっと目を瞑って一歩を差し出す…、そんな9年だった。
だからね、お子が大学が決まり、18歳の誕生日を一緒にお祝い出来て、なんなら私の生きる意味を、私の人生の目標を達成し終わってしまったのだ。
私ががんじゃなかったら、「よーし!これからは自分の時間を楽しむぞ!」となっていたのかもしれない。
でも40代の9年ずっと「希少がん患者」として
生きていて…、お子との時間も大切にするけど「私を楽しむ事」にも精進してきているのでね。
自分の時間を楽しむ事も、必死に前のめりに実行してきているから、敢えて掲げるには日常であるなぁ…なんてぼんやり思ってみたりもする。
とにかく気が抜けたかのような安心感なのだ(笑)
こんなに私は気を張って、
何気なさを装い、期待をしないよう自分の心にブレーキをかけていたんだなぁ。
頑張ったね私。
頑張ったよ心も体も。
ふたりのお子が自分で決めた進路に踏み出した姿、これを見届けることが出来た事。
おめでとう!よかったね!何か困ったときはいつでも気にせずヘルプを出すんだよ、喜んで馳せ参じるからね♪なんて笑いながら伝える事が出来て、本当によかった。
オットがお子が私が
みんなが揃って生きている事は、やっぱり奇跡であり尊くありがたい事だから。
自分が「がん」とわかったのは
40代がはじまったばかりの時だった。
しかも卵巣嚢腫が手術が必要な状況でなければ、あの年のクリマスまで家族一緒に過ごせていたかわからなかった、そう知らされ信じられなかった。
生きている事とは、本当に偶然生かされている事なんだとその時感じた。
アスベストに対する怒りは生まれなかった。
そんな事よりも何よりも、
「子どもたち」が気がかりすぎて、とにかく
- わたしががんだとわかった
- 難治性の希少がん
- 余命2年
- 子どもは小学生
これをとにかく頭に叩き込み、すぐさま行動に移さなければ「時間がない」と思った。
正直ね、ビデオレター的なものとか頭に浮かんだ。二十歳になったら開けてもらう手紙とかもね。
でもそれらは、もっと状況が逼迫してからだ、そう気持ちを切り替えて購入したのは、
エンディングノートだった。
- エンディングノート記入開始
- 子どもの一週間の予定表作成
- 子どもの年間の大まかな予定作成(習い事変更等記入)
- 1ヶ月の家計の流れを見やすく整理
これはオットがパッと見てわかりやすいように必要だと思ったから。
長く生きられない人生なのかと、なんとも言えない苦しさを抱えつつ、母親として私が考え付き、できる限りのことは残して去らなくては、
それが私の使命、そう心に強く強く言い聞かせていたあの時の私。
スカイツリーができた年でね、
術後1ヶ月すぎかな?展望台でそらからちゃんと写真も撮ってるの( ´艸`) ♡
カメラロールを見ていると、お子とオットとちゃんと遊びにも出かけ、その影で「亡き後」の準備もしていた私。(カメラロールは手術以降の私の思い出たち)
あのパワーは一体どこから湧いていたのだろう?
最初は卵巣嚢腫、あぁ片方卵巣取るのね。
つぎは悪性腹膜中皮腫、子宮含む臓器を取った。
余命は2年
でも恵まれている、病気なのは私だけ、
オットもお子も健康なのだ。
世の中は様々な病が存在し、それこそ「当事者」にしかわかり得ない「苦しみ悲しみ怒り痛み」があるのだ。
私だけでいいなら、病は引き受ける。
だから子どもの未来を心配し、先回りして用意をするために考える時間をください。誰にだかわからないけれど、祈り願った。
がんと共に生きる9年は、
母親として子供を見守り続けた必死な9年でもあった。
わかっている、望んでも叶わないのも人生で、努力してもどうにもならない事があるのも人生で、だからこれは「祈り」でしかなった。
私の願いはね、長生きする事ではなくて、
私の願いはね、お子たちがどこかで誰かと笑顔でいてくれたらいいな、なのだ。
by中皮腫患者mochi
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