すっかり肩の荷が降りたようだ
- 2021.02.24
- がんと向き合う
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がん告知を受け治療を一旦終えた時
先生は私に言った。
2年と思って生きるようにね、と。
多めに見積もっても2015年あたりと覚悟して生きようね私キャンペーンを絶賛開催中で、
だから日々は薄い氷の上を慎重に、朝が来るとほっとし、誰にも言わず決めていた目標へ向かって一歩ずつ歩みを進めていた。(がん患者となった母親(私)が秘めていた野望)
とにかく子供たちの未来が不安で仕方がなかった。
だって母親なんだもん私。
本当に小さな事だけど色んな事が心配だった。
体操着のサイズが小さくなったら夫は気付いてくれるかな?上履きは持ち帰るものなんだよとか、連絡帳のお返事とか、さりげなく可愛く記名する技とか、社会科見学の時のお弁当は片手で食べられる方が便利なんだよ…とかね。
そうお母さんとして私が世話を焼きたい部分、それが下の子が小5にはぷつりんと終わってしまう可能性という恐怖。
母親を亡くした上に、いきなり自分である程度やっていかなくてはならない子どもたちの気持ちを想像すると深い絶望しかなくてね。
私は毒親育ちだから、
母はきっと私を亡くした悲しみを優先し、どれほど祖母が娘を失って悲しいのかをとくとくと「孫」に話聞かせるだろう。
それが「孫」の「心の痛み」を増やすことすら気がつかずにね。
夫は優しいからきっと一生懸命子どもたちと向き合い生きてくれるだろうが、仕事もある。
責任を一人の肩に背負い生きるには、まだ子どもたちは全てを自分一人で決められる年齢ではなく、無理と思えて仕方がなかった。
でも時は過ぎ不思議と私は生きていて、
上の子はある学科にどうしても行きたくて、浪人も経験し大学へ進んだ。春から二年生、生き生きと課題の話や写真を送ってくれて、実は嬉しすぎてこっそり泣いているんだ、知らぬだろうお子よ(笑)。
下の子は附属の大学へ進学、あの子も春から大学生なんだ。卒業式は残念だけど今時な「配信ライブ」、もうさここまで生きられている事に感謝しかないから喜んでPC前にスタンバらせてもらいます♪
昨年下の子が18歳のお誕生を迎えた。
あの日から本当に「肩の荷」が降りて、気が抜けたと言うか、本当に安堵という言葉がしっくりと。よくがんばったじゃん私!と労いもあったりさ。
今年の桜を私はどんな感情で見つめるのかな?
40代の私は、がんと子育てと自身の生き方を見つめ直した時間だった。あと少し40代が残っているが、今年の春は少し違う私を発見するかもしれない。
なんてちょっとわくわくしている。
by中皮腫患者mochi
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