がん患者となった母親(私)が秘めていた野望
- 2020.12.09
- がんと向き合う
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実は密かに目標を掲げておりました
子ども②が今月18歳になります進路も決まりました。イエイ♪
2012年4月12日「悪性腹膜中皮腫」という希少がん告知の時、子ども②は小学3年生になりたてだった。
にこにこと朗らかで「ママー大好き♪」とくっついてくれる、まだあどけなさ成分がふんだんに含まれているお年頃だった。
言えなかった、絶対生きるなどと…どうしても口にし、声に出し、目標として掲げることができなかった「生きたい」という言葉。
やはり私は臆病なのだろう。
怖いのだ、叶わないと…もう無理だと…目標途中で「私が悟ってしまう未来」が。ならば初めから未来を夢見なければいい。だから私は「目標を定めない」そう宣言し、生きてきた。
本心はね、死ぬ気だったんだ。
親が一緒に考えてあげられる「最後の」子どもの人生の節目はやっぱり高校三年生かな?って。ならば子ども②が18歳になるまで、どうしても、なにがなんでも…
意思が伝えられる状態なら、どんな形ででもいいから「生きたい」と実は思っていた。
そんな素振りを見せず、胸に秘め「死ぬ気の目標」を、なんなら「人生の最期」を、子ども②の18歳に設定していたのだ。へへへ、カミングアウトだ。
嫌と言う程知っている現実。
生きたくても生きられない残酷な運命。それは病だけに限らない事だってもちろん知っている。
だけど希少がん、治療方法の確立していない「悪性腹膜中皮腫」なのだ。手術したのに、抗がん剤の追加治療をしたとしても2年と思って行動してね、と言われた私だ。
先生の計算だと子ども②が小学5年生。小学校の卒業式も危うい現実の中、高校受験も、その先の進路をどう選択するかも全く読めない年齢だ。
子ども②の人生が母親不在で進むのか、そう考えるだけで、絶望ももちろんだが、本当に子供に申し訳なくて、子どもの心を想像しただけで正気が保てそうにない自分を叱咤し続けたあの頃。
私の心の葛藤など二の次で、
時間を割くべき優先者は二人の子どもなのだ。しっかりしろ私、お前は母親なのだ、とね。
だからこそ考えた「中学受験」だった。母子共に受験にマイシン(我が家は温かったのでね)し、中高一貫の付属高なので、大学進学を本人が希望するならそのまま上がれる可能性があり、先生方が6年間ついていて下さる安心感。
だからね、塾の宿題の丸つけのお手伝いも、駅までの送り迎えも、模擬テストも、全てがキラッキラしてウキウキだった。一緒に暗記をしたり、塾からの沢山のプリントを整理するのさえ楽しくてしょうがなかった。
だから嬉しかったな、小学校の卒業式。
気持ち良いほど空が澄み渡り、例年より早めに咲いた桜は満開の見頃で、みんな笑顔で、子ども②も友達たちとにこにこ楽しそうで、泣いたって誰も不思議に思わない日だし。昨日のように思い出せる。
私立の制服の採寸さえ愛おしく…
夫と3人で向かった中学の入学式はみぞれまじりの寒い日だった。でも夫も私も子ども②も「笑顔全開」で、中学の校門の前で写真を他の保護者さんと撮りっこした。あの日も宝石のような美しい思い出。
私とっては、子ども①と子ども②の学校行事の思い出は、保護者会だって「宝石箱の中の宝石」だ。希少がんに罹患し余命を言われて生きるとは、そういう重みだった。
でも重さを感じるという事は、
私が生きているという事実でもあって、やはり嬉しくて、大切な予定達だった。
初めての林間学校、新宿駅集合。一緒に新宿へ向かったが駅を降りるとちらりほらりと顔見知りと合流する楽しそうな背中を、
同じようにニコニコ後ろを歩く保護者である母親たち。中一なのだ、やはり不安は入り混じる。そんな気持ちを自己紹介がてら話しながら帰った帰り道。
高校の入学式までまさか生きているとは思っていなくて、私の方がおっかなびっくりで(笑)
子ども①が別の地で自分の進みたい道への一歩を踏み出す未来を見ることができている幸せ。そして密かな目標であった子ども②の18歳のお誕生日をお祝いできそうである私。
本当に感謝しかないのだ。
私を救ってくださった全ての方へ
そして頑張った私の心身へ
でもやっぱり子供たちの存在が一番の原動力だな♡
功労者は夫だね、表に裏にと家庭を支えてくれたのだ。
私はポツンと日本で生きている存在だけど、私の命を救おうと一生懸命考えてくださり、私の人生を繋げてくださった先生方に心から感謝の気持ちしかない。
先生、私の目標である子ども②の18歳のお誕生日を
一緒にお祝いできそうです。あの日真剣に私の目を見て「2年と思って行動して」、そう仰ってくださり本当にありがとうございました。
あの言葉あったから、私は人生を逆算して遺す側として気を張って生きてこれたのだと痛感しております。先生方が救ってくださったのは私の命だけじゃありません。
子どもたちと夫の心身も救ってくだいました。
感謝の気持ちを胸に、私は命が尽きるまで、やはり子どもを最優先に、夫を大切に、好きな人たちに優しい気持ちを届けられるよう、これからも心の成長に努めようと改めて思います。
臆病な私は相変わらずで、
密かな野望が叶った今、本当に目標はゼロになり、ほっと一安心、気の抜けた状態でもあります(笑)。
やはり私は目標を定めず
未来に希望を抱かず
常に「今日」を生き切るのが
性に合った生き方だと
肩の荷が下りた今だからこそ
よーくわかったよ♪
大好きな子どもたちへ
生まれてきてくれて本当に、本当に、ありがとう。私はあなたたちに出会えて本当に良かった。
たくさんの「大切な気持ち」をあなたたち二人から教わったんだよ。無償の愛も、世界一の大好きも、沢山の「愛」も「幸せ」も、惜しみなくメガ盛りで私に与えてくれたんだよ?信じらない気前の良さだよ。
さぁ、子供たち!
後は何も気にせず
好きな世界へ飛び立つがよい!
その背中を母は楽しみに
目を細めて見守りたいのだよ
楽しんで行っておいで♡
ー私の人生に関わってくださった全ての方へ感謝と愛を込めてー
by中皮腫患者mochi
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