がんとフラバと「感情の棚」という考え方

がんとフラバと「感情の棚」という考え方

悪性腹膜中皮腫と複雑性PTSDと

ここ数日、やるせない寂しさと向き合っていた。

私は悪性腹膜中皮腫と複雑性PTSDを抱えている。この複雑性PTSDもなかなかに厄介で、音や匂いや景色など、何気ない事がきっかけで「過去に受けた心の傷」の「痛み」がよみがえる。そう、フラッシュバックというやつだ。

対処の方法はわかっているつもり。

辛い、悲しい、不安、寂しい、やるせない気持ちは何をどうしたって「やるせない」。だから私は私の心に耳を傾け、大丈夫、大丈夫だよ、と私が安心するまでゆっくり話を聞くのだ。

複雑性PTSDに気がついたきっかけは

両親に絶縁を告げた時。

けれど、がんの告知やがん細胞を抱え生きる人生。がんとわかり実家と縁を切る事を決意した私。その度心は深く傷つき、とどめが「絶縁宣言」だったというだけなのだと思う。

がんと告知され、息つく間もなく「患者」となった。しかも希少がん。あの恐怖と絶望の記憶がフラバする時がある。

どうしようもなく悲しくてしゃがみ込む瞬間、あなただけが辛い訳じゃない、そう私に言い聞かせる。

「感情の波」が落ち着くまで、

心が波を乗り切るのを、血が止まり傷が癒えるのを、ひたすら一人待つ。それが私の性に合っている。

感情を伝えようと言葉を紡ぐより、頭の中で何に傷つき、何に痛みを感じているのか、自分の感情を一人振り返る。

私は、感情を種類別に分ける棚を心に置いている。この「痛み」はどの棚?この「寂しさ」はこの棚だ!というように、感情を整理整頓するのだ。

「感情の棚」という考え方が私は好き。

種類がわかると次の手である「浮上」までの工程が見えてきて、必要以上に不安にならずに済むように思えるから。

今回の「感情」は、しっくりくる棚が見つからず途方に暮れてしまった。

本当に心というのは難しいな。上を見れば…下を見れば…と、本当にキリがなくてね。わかってはいるよ、だけど…きつい日はやっぱりきついのだ。

がん患者である私の心情がね、

時々どうしようもなくザワザワと揺れる。中皮腫が体内に残っている怖さなのかな、わかんないや。

わかっているのは、ここまで子どもの成長を見守ることが出来ている「今日」は、とてつもなく有難く、とてつもなく奇跡であって、決してありふれた日常じゃない事。

わかっている、本当にわかっているの。

わかっているけど「叫びそうになる私」が久々顔を出して、消えてくれなかった。既存の棚に「感情」を置いてみたんだけど、その棚じゃしっくりこなくて…

だからね、悩んで考えて出した答えは、

新しい棚を設ける事。わからないけど次また「叫びそうな私」が現れたらこの棚に置いてみようと思う。とりあえずはこれでやってみる。

世の中はあらゆる情報で溢れている

彷徨ったら一度立ち止まるんだ

そのまま進んでしまうと

迷いが増えて心に負荷がかかる

途方に暮れていた私

これから先だって

途方に暮れる事はあるのだろう

迷ったら考える

今までもそうしてきた

へっぴりごしだけど

また進んでみようと思う

がんばるね

by中皮腫患者mochi