治療後の回復と眠ることの大切さ

治療後の回復と眠ることの大切さ

2箇所目のがん拠点病院の初診の日

当日に、手術日が決まった(2012年5月23日)。

担当医師が中皮腫の中央鑑定は切除後でいい、悪性腫瘍が体内にあることは事実だからさっさと切っちゃおう、そうさっぱりと言い切ってくれる人だった。

全てを医師に委ねよう、そう希望の光が見えた日

たとえ排尿障害が残ろうとも、抗がん剤のみの治療ではなく、手術を希望したのは私だから。

決まったからには、入院日までにできる限りの準備をすすめ入院に備えた。(よろしけれなこちらをこご覧ください↓)

がん・中皮腫、治療の目的を決める大切さ

治療後すぐに回復とはいかないから

そう思い、家族でスカイツリーに行って夕日も夜景も楽しんで、ソラカラちゃんと記念写真を撮ったり、箱根へ日帰り旅行に行ったりもした。

温泉もしばらくは入れないだろうから、それも忘れずに入っていおいたし、お酒も楽しみ、食べておきたいものを旺盛にお腹へ入れておいた。

死は平等にやってくる、

私ががん患者となったからといって事故に巻き込まれない確約などない。これも運命、そう思う以外やり過ごし方今もわからない

手術前夜、病院からスカイプでリビングと繋ぎ、同じテレビ番組を見て笑い転げ「日常」を過ごした。

子供たちにあえて「明日頑張る」なんて会話はせず笑顔のまま電話を切った

消灯の時、看護師の方が

声をかけに来てくれた。可愛らしく、まだお若い方。

優しい声で「どうですか?ゆっくり眠れそうですか?よければ睡眠導入剤をお持ちしました」と。

我慢していた気持ちが、その一言緩んでしまい、不覚にも泣いてしまった。

そうだった、思い返せば4月12日から睡眠と呼べるような眠りについていなかった。

手術ができることは嬉しい、

けれど開けただけで閉じたらどうしよう、死んじゃったらどうしよう、なんでがんになっちゃったんだろう、子どもと別れたくない、死にたくない、と。

幼子の様にすらすらと病気に対する「本心」を話してしまった。先生の前では、冷静を努めて会話をしていたのだけれど。

私の背中を優しくさすりながら、どうして看護師を目指したのか聞かせてくれた。お母さんが乳がんの末期だとわかったのが中学生の時。だから看護師を目指したのだと。

そして、お母さんは治療を続けながら今も存命治療が出来るのはチャンスがあること、そして一人でため込まないで、と

ふふふ、看護師さんの胸をお借りしワンワンと泣いちゃいました。おかげでとても穏やかな気持ちになれました、さすが白衣の天使です。そして睡眠導入剤を飲みあっという間に翌朝に

さぁ、何だか肩肘張っていた気持ちもほぐれ、まさに「まな板の上の鯉」、なんならどーんとなんでも来い、そんなテンション。睡眠侮りがたし

術前にもう一度体重を測り、触診をし、最後に弾圧ソックスを履き終えたあたりで、夫と両親が部屋に到着。

手術日が平日だったので、

子どもたちは普段通り学校へ行きました。ちゃんと行ってらっしゃいと顔を見て送り出せました。ここまでは予定通り順調

卵巣嚢腫の手術の時はストレッチャーでの移動、今回は歩いて行くスタイル。

家族と手を振り別れを惜しみ角を曲がる時、気分はアルマゲドンのブルース・ウィルスだ。

自動ドアを2箇所くぐり手術室へ入ると、先生が「どう?昨日はよく眠れた?」と洋楽を流しストレッチをしながら笑顔で話しかけてきました。

おや?ハイスクール白書かな?アメリカンな雰囲気だ。笑顔でベッドへ横たわり、2度目の「1・2・さー…」

「ん」で目が覚めた時はすでに10時間後(笑)

さっき朝だった病室は夜となり、やはり体は固定され、前回同様足のポンプのプシュー、ゴー、プシュー、ゴーが聞こえてくる。あぁ手術が終わったんだ、ホッとした覚えがある。

痛いのか寒いのかわからない

歯がガチガチなる寒い夜を、やはり電気毛布で乗り越え、うとうとしては起き、それを繰り返し朝を向えた。

今回は硬膜外麻酔の針が入っていて、痛みが耐えられなくなると押す→寝る→痛くて起きる→押す…、

これが頼りがいのある子で、押すとすぐ眠りへ誘ってくれる。ボタンを押せる回数が決まっていたので、ギリギリまで耐えてやっとポチッと押せた時の安堵たるや(笑)

寝ると僅かながら回復していることに気がづいたのは二日目以降。痛みは我慢せず寝られる様に、これ大切。

三日目、まだ1ミリも動くことができず。レントゲン撮影は車椅子で移動、まだ自力で起き上がるのは無理っだった。

日を追うごとに痛みがましになっていく。硬膜外麻酔も外れ、自力でトイレに行き、シャワーを浴びられる様になる。

沢山繋がっていた管もとうとう、腕にある点滴だけとなり、一人で売店に行ける様になった。

歩くと傷の治癒が早いと

言われていたので、朝起きてご飯も終えるとスマホを持ち一階のテラスを二周する。そしてカフェラテを買ってベンチに座りスカイプを立ち上げる。朝の挨拶を子供と交わすのだ。

午後は空中庭園を五周と決め、好きな曲を聴きながら空を眺め、放課後帰ってくる子供の連絡を待っていた。

夜ご飯を終え寝るまでの間、同じテレビを見て話しながら過ごし、翌朝を向かえる。痛みに慣れるため動き、こんなもんと自分に言い聞かせ。

ちょっとお高いコスメ(戴き物)をバッシャバッシャ贅沢に使い、丁寧に「お腹以外」お手入れをし気分を上げて…

苦手だったのは、傷口のテープの張り替え。見るの怖いけど見ないと貼れない。仕方なくそろーとはがして薄目で見て貼り直していた(笑)

そのうち夜も歩く様になる。

同年代らしき女性たちと自然と会話を交わす様になった。それぞれ婦人科系のがん患者、がんの種類も家族構成もステージも様々な女性たち。

あの時話をした人は誰一人連絡先を交換しよう、そんな話をしなかった。だからかな、互いに本音で不安を語り合えた気がする。

婦人科系のがんとだけで一括りで語るのはやはり無理があるからね。治療の方法もそれぞれだから。

たまたま、入院の「日にちが被った」というだけの出会いだった。でも同じ痛みを分かち合えて癒された

卵巣嚢腫の手術で入院した病院は、廊下を挟み片方は新生児と入院する産科、片方は要治療の婦人科、トイレやシャワー室で出会ってもどちらの科なのかわからないので会釈しかしなかった。

その点、がん拠点病院はある意味気楽みんながんで入院しているから話しやすい。しかも婦人科は女性しかいないから。

何事もなく過ぎる人生もあるだろう。

私より過酷な人生を過ぎる人がいる事もわかっている。

初産の時、臨月間近のお腹の子の心音が聞こえないと言われ、卵巣嚢腫術を受けた病院の産科に1週間入院した経験がある。

あの時は誕生の喜びで充満している産科側の病室独りで子供の生死をを案ずるのが辛かった

絶対安静と言われていたのを理由にカーテンを締め切り、誰とも会話をせず過ごした。それでも24時間可愛らしい新生児の泣き声が聞こえる病室、とにかくただただ辛かった。

お腹の子がへその緒を足で踏んでいる、そんな嘘みたいな理由が原因とわかり、本当は担当医のサインが必要だったが、

看護師長が私のやつれ具合を知っていた様で、私が一任したと先生に伝えるから、と即退院させてくれたのだ。

生と死が同軸に存在する残酷さ、

仕方のない事としか言いようがないけれど、やはり脳裏にこびりついている。

がん拠点病院に入院中、

回復してくると次の手をどうするかが心配になってきた。

なぜなら、私に隠しているはずだった「全て取り切れなかった」事実。

これを見舞いに来た父からサクッとカミングアウトされたのだ。腫瘍が手で確認するだけで4〜5個横隔膜にあると知った以上、安心してなどいられない

本当は退院したのちの通院日に言う、そう先生と家族で決めてたらしい。父よ…

通院では叶わないメリット。

先生は同じ敷地にいて治療に関しての質問に丁寧に時間を作り説明をしてくれた。

医師ではないからといって医師任せにできるほど標準治療の確立している癌ではない、悪性腹膜中皮腫というがん。

ズレた質問であったとしても、わからないことは看護師や医師に聞けばいい

お手間を取らせてはいけないので、聞きたいことは予めメモにまとめ、それを渡してもらう様お願いした。

面談の時間がとれない時は、メモに先生が答えてくれ私のもとへと戻してくれた。

とにかくみんな褒め上手なのだ、

歩けば褒め、完食しては褒め、がんについて知る姿を褒め、なんならスワロフスキーのデコレーションすら褒め倒してくれた

大人になってこんなに褒めてもらえるなんて、何だかとっても嬉しかった

  • 治療方法が決まったらそれに向かい迷わない
  • 治療ができるのはチャンスがあるということ
  • 入院中辛ければ無理をしない、看護師は気付いてくれる
  • 聞いておきたいことは入院中が聞きやす
  • 痛み止めも睡眠導入剤も上手に利用するべき
  • 心の負担は体に影響するから睡眠は重要

術後、痛みがあるうちはひたすら「痛い」だけしか考えないけれど、ある程度動き回れる様になると、次の治療が頭をよぎる

だけど、とにかく眠ること

今もそう、辛いなと感じた日は無理をせず睡眠導入剤を飲んで眠る様にしている。

心の負担は体へ影響する、これは私の経験です。

睡眠は大切。

by 中皮腫患者mochi