がん・中皮腫、治療の目的を決める大切さ
- 2020.06.02
- 中皮腫の治療歴
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治療を決めるにも予備知識が必要
頭に叩き込み、一ヶ所目のがん拠点病院の初診へ向かった。
私の希望は、
・腫瘍を手術で切って欲しい事、それがダメなら
・抗がん剤の奏功率について
そして、
・手術がダメで抗がん剤も効かない場合の余命について
・無治療を選択した場合の余命につてい
これらを直接医師に聞きたかった。
治療の目的、優先順位は、
私のためにも子供優先で生きたい。だったから。
噛み砕き言うと、日常生活に支障のない活動を希望、それは子供たちの勉強や習い事の送迎、学校行事、これらを私がこなす事が可能な治療が希望だった。
もっと端的に言うと、入院生活をし子供に会えず生きるくらいならば、無治療を選択し、普通の母親として1秒でも長く子供のそばにいたかった。
触れ合い、愛している事、大切に思っている気持ちを、子供たちの横で直接伝えたかった。
なぜそこまで振り切れた選択を
考えていたか、それはやはり抗がん剤の奏功率の低さがそう考えるに至ったから。
悪性腹膜中皮腫の場合、10人中、1〜1.5人に入らなければならない。そしてこの数字は寛解を示すものではなく「生存期間」が延びる治療。
そして抗がん剤を投与するのは3週間に1度、1週間の入院を要する。私に残された時間が短いのであれば、結局最後は病院にお世話になるであろう事ははっきりとした事実である。
ならば、元気に活動できるはずの1週間を病院で過ごすには奏功率が低すぎて、わたしはそれをデメリットと考えたのだ。
なぜならば、2012年5月当時、
体の不具合が全くなくがん患者とは思えないほど普通だったから。
子供たちはまだ可愛らしい年頃だ。私が月に1週間不在になる方がデメリットと考え、短命になる結果だとしても、なにがなんでも子供の側にいたい、それが当時私が出した結論だった。
がん拠点病院の件は、「中皮腫の病歴をざっと書いてみた」をご覧ください。
幸い、希望通り手術を行える事となった
しかし切除範囲に(子宮・卵管・ダグラスこう摘出、見える範囲腫瘤は電気メス使用)、排尿に支障がでる可能性がある事、
実際に開腹し3月の映像より進行している場合や、腫瘍ができている場所によっては、手術せず閉じる事。
これらを納得しサインをしなければ手術は行われない。前回の卵巣嚢腫摘出術よりもはるかに書類の量が多くひるみそうになった。
しかし希望は手術だ、だから逆に全てを先生に委ねようと思った。手術を行わない選択は私にはない、ならばリスクは仕方がない。
排尿障害について調べこれまた最悪のケースを頭に入れておく事にした。
とにかく何もせず閉じるのでなければそれでいい、あとは慣れて行く以外ないだろう、そう心に言い聞かせ、全ての書類にサインをした。
卵巣嚢腫の手術が3月末、
次が6月中ばの手術、術後の痛みが生々しく蘇り、気を紛らわすためにも、「歩ける自由」「食べれる自由」を手術前まで意識して家族と楽しむ事にした。
そして、上の子にだけは「がん」であること。手術ができるのはラッキーな事。だけど、万が一のある長時間の手術であることを伝えた。
これに関しては今でも申し訳ないと思っているが、下の子に伝えるには幼くて、かと言って2度と会えなくなる可能性がゼロでないので、私の我が儘を通させてもらった。
前向きな治療である、だがこれが会話できる最後になる可能性がゼロではない重さ。
背負わせてしまい申し訳ないけれど、入院中も、万が一の時も下の子のためにもあなたに伝えたかった、と正直に話をした。
そして、毎日家のPCから顔をみて会話できる様にしてあるから、話がしたいときはいつでも話そうね、と。
それに並行し、
1ヶ月の入院予定、子どもたちと私の入院中のスケジュールをエクセルにまとめる作業をした。
玄関には、ティッシュやハンカチなど、毎日持っていくものを書き、家を出る前にチェックできる様にした。
習い事のバックもお稽古事ごとに買い足し、筆記用具もそれぞれ入れ替えなくても良い様にし、一目でわかるようレッスンバックにタグをつけた。
本棚に、教科ごとのボックスを作り、教科書ノート副教材を入れる様にする、習い事のボックスには、終わったプリントと宿題プリントを整理できる様、タブ付きクリアファイルを用意。
スケジュールの中の夫の欄に、丸つけをする日も書き込み、教科ごとのジャバラファイルに答えを入れて渡しておいた。
さらにダメ押しで、スカイプで私が毎朝確認をしたのでばっちりだった(笑)。
入院に備え優先して考えたのは、
子どもたちが母親不在でも普段と変わらぬ日常を送れる様に、ざっくりと整理でき、必要なものが何処かへ行かない様、住所を設けること。
今と違いスマホがここまで普及していない時代だったので、スカイプで顔をみられる様、直接私がいってらっしゃいと声をかけらるようにしたこと。
これらの準備は、私の心の安定にも役立った。何かをしていれば気が紛れる、それが我が子のためなら、なおさらあれもこれもと、アイディアが浮かぶ。
ある程度、子どもの準備が整ったら、
次は私の入院準備にとりかかった。
勿体なくてとってあったお高いパック、お高いデパコスの試供品、これらを入院中に使おうと思った。せっかくだからね。
そして、可愛いタオル地のルームウエアを購入。パジャマはレンタルが楽なので代わり映えしないが、ルームウェアやシュシュなどは、気分の上がるものを選んだ。
さらに、当時スワロフスキーをデコるのが趣味だったので、入院期間中にできる様になったら…とおもい念のため入れておいた。
これが意外にも、黙々と何も考えず作業できて、痛みを紛らわすのに役立った。
治療の目的を決める
- 手術で切って欲しい
- 抗がん剤の奏功率について
- 手術がダメで抗がん剤も効かない場合の余命
- 無治療を選択した場合の余命
- この様に、自分がどう生きるため治療するのか
- 治療の目的はどこにあるのか、それを決める
入院までの準備
- 子供たちの年齢に合わせ持ち物バックを用意
- 夫に宿題の答えを渡し丸つけを頼む
- 家族全員のスケジュールを一覧にする
- 玄関に忘れ物チェックリストを貼る
- 子供の年齢を考え、かつ万が一も視野に、手術の理由を伝えるかどうか、夫婦で決める
- 子供が母親と話したい時に話せる手段がある事を伝えておく
- 自分の入院中の生活に楽しさを足す小物を用意
- 万が一を考え術前の日々を全力で謳歌すべき
これらを入院前日までにすべてやり終えておいた。
今の様にデジタル環境が整っていない時代だったので、当時工夫できる限り、母親の不在感を払拭させたいと思っていた。
そして、何のために治療をするのか、これは後に後悔するだろう時があった場合、ちゃんと考えておけばよかった、という気持ちを持ちたくなかったから。
そして、常に万が一を考え「楽しみ切る」これを大切に。
これは今も心がけているつもりです。
by 中皮腫患者mochi
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