アスベストという単語

アスベスト健康被害の救済
ベビーパウダーに含まれるタルクに発癌性物質、中皮腫に関連するニュースはやはり気になり目を通します。
2012年の4月12日の告知の瞬間まで、まさか自分がアスベスト被害に遭うなどとは全く思いもよらず対岸の火事だと思っていた。
近くに工場もなく、親の勤め先、私の勤め先、これらはアスベストを扱う職ではなかった。
アスベスト(石綿)が健康を害し
被害をもたらす、この知識はもちろんあったけど、中皮腫(ちゅうひしゅ)という病名までは知らなかった。
父は昔、設計の仕事で呉の造船所に頻繁に出入りしていた。そこでは作業着を着る。もしかしたら作業着に付着したアスベストと私の使用していた布オムツを一緒に洗ったからだろうか。
アトピー性皮膚炎の私に、母はベビーパウダーを使用していた。それは幼い記憶にもある。夜寝るときはジョンソンアンドジョンソン、日中汗を拭いてはたくのは和光堂のパウダー。
小学三年生の時、小学校の建て替えがあった。引っ越し先の屋根裏にはグラスウールが大量に置いてあった。
でもそんな過去を
思い返したところで、私がいつどこでどのアスベストを吸い込んだのか、それは一生謎のまま世を去る他ないのだ。
知れるものなら知りたいと思う日もある。
だけどね、いくらこの世からアスベストが無ければ良かったのにと思っても確かに、うーーーん、確かに体内にあるんだよなぁ。
嘘みたいな話。
空気中に漂って髪の毛の千分1の細さで目に見えなくて、色も香りもない繊維状のアスベスト。見えないから吸ったかどうかすらわからない。そして身内に中皮腫に罹患した人もいない。
先生は言っていた。
春に婦人科に行ってなければ年内に急激に悪くなってから病院に来たんじゃないかなって。そうしたら私にはこうやってブログを綴る今はなかった。
わかっている、それは天災、人災、事故、他の病だって同等に可能性はあることは。それに私はたまたま8年目を生きているって事も、わかってる。
でもね、被害があることを
知りつつも使い続けたアスベストだよ?
使い続けたなら、責任を感じて救済をするのなら、直る薬を今すぐ提供してほしい。そう強く希望する事は我がままなのだろうか。
「中皮腫患者」を初めて診察する医師がたくさんいる事実。
私が通院している全国的に有名ながん拠点病院でさえ、手術当時、中皮腫患者は私だけだったし、受付の人が石綿健康被害の保険証を見るのは初めてだったよ?
そのくらいには患者数の少ない病気。
アスベストが被害をもたらす事を知っている人は大勢いても、
それが中皮腫というがんに
なる事や、治療方法が僅かで進行したらあっという間に死に至る怖さ。これら現実はあまり知られていないんじゃないかな?
医療が発達した現代、がんの研究も進んでいて、かつては不治の病と言われたけれど、早期発見なら大丈夫なのだと思っていた。
アスベスト被害が知られているのだから、当然研究も治療も進んでいると思ったけれど、現実は想像よりも酷かった。
けれど文句を言おうが、喚こうが、私の体内の中皮腫が消えるわけではない。
だから私は生きることを
諦めて生きようと決めたのだ。
「今日」を生きて眠りにつき、明日「今日」がやってきたら嬉しい。それを積み重ねていけたら幸せ。
その位、中皮腫は手強いがんだってこと。そしてそんな理不尽を抱え闘病している中皮腫患者がいる現実。奇跡が起こればいいのにな。
どの病気もどんな理不尽も、全部なかった事になったらいいのにと、明日は我が身の私は願う。
生まれる時も死ぬ時も一人。
うん、確かにそう。
でもね、いきなり思いもよらない場所にゴールテープを用意された理不尽はどう処理したらいいんだろうね?
悔いのないように生きる。うん、それはそうだ。
でもさ、どんなに懸命に生きたってやっぱり死ぬときは後悔しそう、こんな風に弱気になる夜もある。
目に見えなくて、
潜伏期間が長すぎて、それでも周りに罹患者のいない、有名な「アスベスト」と、無名な「中皮腫」。
これから患者のピークがやってくると言われているアスベスト被害、そして30年近い潜伏期間を経て発症する中皮腫
生きたいと思う人がいて、助けたいと願う相手がいる。
どうか痛みや苦しさのない明日を、そしてそんな明日がたくさん重なりますように。
どうか願いが届きますように。
by 中皮腫患者mochi
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