がんと向き合う

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花見だ、桜だ、嬉しいよぉ♡

3月末お花見に出かけました 夫とてくてく歩いてね♪ がん告知が春(2012.04.12)だったから、どうしても春は様々な感情が浮かんでは消える。それこそヒュッとなる心だってね。 がん患者となった母親(私)が秘めていた野望 がんの告知から9年目 告知から10回目の春がやってくる でもね桜に罪はないからね♪ 素直に、綺麗だなー、儚げで素敵よねー、花見だ、桜だ、イェイヽ(´▽`)/ って楽しむのが一番な […]

2022年の春がやってきますね

悪性腹膜中皮腫 (あくせい ふくまく ちゅうひしゅ)という希少がんの告知を受けたのは、2012年4月12日だった。 今年の春はね、私が「希少がん患者として」生きて丸10年の春なのだ( ´艸`) ♡ 治療の際 「石綿健康被害医療手帳(保険証)」が必要で、5年に一度更新があります。 更新にあたり、いくつか書類を提出するのですが、その中の一枚は、がん拠点病院の担当医師に記入をお願いします。 2022年1 […]

がん治療に大事な「患者力」

友から相談があった。 私は面識がないのだが、友の友人ががん告知を受けたと電話があったのだという。後日会う約束をしたのだが、なんて声をかけたら傷つけなくていいのかなぁ、と。 優しくて気配り上手な彼女らしい相談だな、と心がほっこりした。 私自身の経験でしか語れないから、 それは違うかな?と思った事は友人へ伝えないでね、取捨は友に任せると前置きをしてから、話し始めた。 相手が話し終えるまで会話を挟まない […]

希少がん患者を生きる、それが私

私はアスベスト暴露により 「悪性腹膜中皮腫(あくせいふくまくちゅうひしゅ)」という希少がんに罹患し、10年目を生きる希少がんサバイバーである…というフレーズ好きね私…よく書いてるね( ´艸`) 。 そこに追加するのなら、希少がんがきっかけで毒親と絶縁し5年目でもある。だな、うん。 まぁこれが私を紹介するのに簡潔ではないかと思うのだ。 希少がん患者として重要なトッピング事項は、 「中皮腫というがん」 […]

生きる意味とは何?

下の子どもが大学に入学してからの 私のテンションが少しおかしい(笑)。 私は下の子18歳になるまで、それまでの年月を何がなんでも「お願いだから生きさせて」、時に泣きそうに、時に前向きに、でも決して口に出さず密かに祈っていた。(がん患者となった母親(私)が秘めていた野望) つまりはそれが「私の生きる意味」であった。 だから私は「生きる意味」を達成してしまった。 もちろんそれはとてつなく喜ばしい事であ […]

楽しくて楽しくて楽しい18年だった♡

2021年3月1日の今日は 下の子の高校の卒業式でした。 保護者は「卒業式ライブ配信」でしたので、どーなっつを用意し、コーヒーを淹れ、PC最前スタンバっておりました。 後方の定点カメラに映り込む位置に、うまい具合お子が座っているのを肉眼で確認しヤバハピ♡ 同級生ママとお子たちの位置確認。この時点でママチームすでに泣きそう…(笑) はじまるね!また後で!を合図に 始まりました卒業式が。 卒業生全員の […]

すっかり肩の荷が降りたようだ

がん告知を受け治療を一旦終えた時 先生は私に言った。 2年と思って生きるようにね、と。 多めに見積もっても2015年あたりと覚悟して生きようね私キャンペーンを絶賛開催中で、 だから日々は薄い氷の上を慎重に、朝が来るとほっとし、誰にも言わず決めていた目標へ向かって一歩ずつ歩みを進めていた。(がん患者となった母親(私)が秘めていた野望) とにかく子供たちの未来が不安で仕方がなかった。 だって母親なんだ […]

告知から10回目の春がやってくる

昨日も今日も春のような陽気 なにやらほくほくご機嫌になってくる。 花粉も元気に飛び回っているが、花たちも誇らしげにポンポン綺麗な姿を惜しみなく披露し、もう本当に春がそこまでやってきた気配しかないのは幸せだ。 2012年の私は、 悪性腹膜中皮腫とういう希少がんと言われ、その足でPETの予約をれ会計を終えたのは19時過ぎだった。 ひとり薄暗い病院のロビーを出た外は、満開の桜と大雨だった。雨に混じり花び […]

私が『患者会に属さない』理由と春

一足先に指先に春色がやってきた ネイルチェンジをしてきた。思い切り春満開の指先は見ているだけでテンションがあがる。明るいカラーはやっぱり心がうきうきするね♪ 私の人生、なぜか『春』は大事が起こりがちなのですけどね… 悪性腹膜中皮腫という希少がんになってから春で丸9年、10年目の「希少がんサバイバー」となる予定なんだ♡嬉しいな♪信じられないよ♪ 私はアスベスト暴露により「悪性腹膜中皮腫(あくせいふく […]

はじめまして2021年、よろしくね2021年

はじめまして2021年 2021年のスタートはとても穏やかなはじまりでした。 お子は友と近所の神社へ参拝に行き、夫ともう一人のお子が「近所に詣でない?」と誘ってくれたが「ごめん、ジャニーズ見てるから私抜きでどうぞどうぞ♪」と会話した、福福しい新年。 昨年はお子の受験前だったな、と懐かしく思い返しました。 毒親育ちゆえ、年末から三ヶ日は実家へ行かなくてはならぬ事情がありましたが、絡まりを断ち切り、 […]

もういくつ寝るとお正月?

2020年も本当にあとちょっと 毎年のように思う、一年ってあっという間だよね、というセリフ。もちろん今年も言いました(笑)。 2020年の主な出来事、私ごとです♪ 家族四人で穏やかに年を明けた冬 ブログをはじめた私 エアポケットのように子どもと過ごせた春 子離れを経験した初夏の私 子どもの頑張りに涙した真夏 子どもの進路が決まった秋 結婚25周年を祝えた初冬 下の子の18歳を祝えた冬 Netfli […]

2020年があと数日で終わるね

さぁ、今年もあと数日で終わる ジャニオタだった2013年は「JOHNNYS’ 2020 WORLD(トニトニ)」を観劇するため帝劇に日参し、もう一層のこと帝劇までの定期を購入してもいいんじゃないか?と思うほどに通っていた(笑)。 あの頃は、2020年まで私が生きる未来も、東京でオリンピックの開催が決まるなんて、そしてジャニーさんがいないジャニーズだって、全く予想しない「まさか」であって […]

がん患者となった母親(私)が秘めていた野望

実は密かに目標を掲げておりました 子ども②が今月18歳になります進路も決まりました。イエイ♪ 2012年4月12日「悪性腹膜中皮腫」という希少がん告知の時、子ども②は小学3年生になりたてだった。 にこにこと朗らかで「ママー大好き♪」とくっついてくれる、まだあどけなさ成分がふんだんに含まれているお年頃だった。 言えなかった、絶対生きるなどと…どうしても口にし、声に出し、目標として掲げることができなか […]

がんとフラバと「感情の棚」という考え方

悪性腹膜中皮腫と複雑性PTSDと ここ数日、やるせない寂しさと向き合っていた。 私は悪性腹膜中皮腫と複雑性PTSDを抱えている。この複雑性PTSDもなかなかに厄介で、音や匂いや景色など、何気ない事がきっかけで「過去に受けた心の傷」の「痛み」がよみがえる。そう、フラッシュバックというやつだ。 対処の方法はわかっているつもり。 辛い、悲しい、不安、寂しい、やるせない気持ちは何をどうしたって「やるせない […]

がん告知。悪性中皮腫の治療選択について

悪性腹膜中皮腫の治療選択について 「がん」の治療の選択について、病院について、迷うのは皆同じなのでは?と私は思っているのでその前提でのお話です。 それでも「中皮腫」という希少がんの治療は、迷えるほどの選択がそもそも存在しない。 私が告知を受けた当時は、「アリムタ」が中皮腫に使用できるようになり、中皮腫の新たな治療が増え期待された、そんな時代だった。 私は2012年、手術をしその後「無治療」を選び、 […]