【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】、はじめました

【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】、はじめました

中皮腫患者mochiと申します。

2020年5月現在ざっくり50歳。夫と子ども①②の主婦、機能不全家族に生まれた毒親育ち。

2012年4月、希少がん発覚。

手術後「2年と考えて生きてね」とさらり余命期間を受け、子どもの未来を案じ無我夢中で生きました。2年間どう生きていたか記憶薄く…、3年目その状態に少し慣れ、そこで改めて自分の人生を考える余裕が芽生えました。

私の体内情報と照らし合わせると、私は夫と子どもをうっかり早めに悲しませてしまう可能性が大でして…

私がいなくなった後の夫や子どもたちの生活はどうなるのだろうか?私の寿命は、残りどのくらいなのだろうか?

そんなこんなを考えていくうちに、自身の人生をしっかり切りたい、自由を謳歌したい、夫とお子と笑って生きたい、と切実に願うようになりました。

結果、苦渋ではありましたが機能不全家族である実家と絶縁を決めました。

当初ブログ:【毒親育ち|楽していこう】

  • 40代で悪性腹膜中皮腫という病名に「がん」とつかないがん患者となった事
  • がんが毒親と絶縁するきっかけとなった事
  • 毒親と絶縁をした際に複雑性PTSDとわかりそちらも治療中な事
  • もろもろ経緯を綴っておりましたが、

ブログを分けることにしました

ブログ【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】

私は、アスベストが原因といわれる悪性腹膜中皮腫という「がん」に罹患しています。アスベストを扱う仕事に就いた経験もなく、どこで吸い込んだのか今もわかりません。

そして、身内で罹患しているのは私だけです。

子育てに夢中だった2012年、

生理痛に加えほんの少し腰骨のあたりに擦れてヒリヒリする(例えるなら北風にあたりカサつく感じ)違和感とタイミングが、なんとなく婦人科への受診を促した結果、

卵巣嚢腫とわかり、他の病院で腹腔鏡術にて卵巣摘出術中に、腹腔内に散らばるがん細胞が発見され、悪性腹膜中皮腫と宣告されました。

あの時、婦人科に受診をしていなければ、もしかしたら今の私は存在していなかった可能性がありました。

どの病でも言えると思うのですが、

病気に大きい小さいは無いと思っています。現在、複雑性PTSDの治療のため心療内科へ通院しています。

そして、3ヶ月に一度がん拠点病院に経過観察のため通院しています。

がんは肉体に腫瘍の存在が目に見える病、そのための通院、

複雑性PTSD(長期にわたる心的ストレス)は、心と脳の神経伝達という、痛みの原因が目に見えない病のための通院。

どちらも心にも体にも負荷があり、どちらが楽と比べることはできません。

がんと告知され、どうやってここまできたのか。

フラッシュバックを薬でコントロールする現在進行形の病気。

体内に残っているがん細胞もこれまた現在進行形で体内に存在している怖さ。

私は機能不全家族に育ち、

思い出したく無い過去を封じ込め30代まで生きてきましたが、ある日母により「トラウマ」が蘇る結果となりました。

それでもなお、毒親からの洗脳から解けず共依存を保ち、子育てに奮闘し塾代の足しにとパート勤めをする、側から見たらどこにでもいる雛形の主婦でした。

40代にさしかかり、そろそろ老後も見え始めてきた頃「早ければ2ヶ月、もって2年」そんな病にかかっているよ、と人生のほうからゴールテープを突きつけられました。

孤軍奮闘、がんを飲み込み

何気なく見える様に生きてきて、3年前にとうとうトラウマの原因である親を私の人生から切り離さねば「残りの有限の時」を生きられないと気がつきました。

そして親に絶縁を宣言し、トラウマが再びフラッシュバックという形で襲いかかり、「日常を生きるため」に必要な治療を受け続けております。(複雑性PTSD)

心の痛みも、肉体の痛みも、私の体験してきたことは全てノンフィクションです。

痛みを言語化することで、

自分を俯瞰して見つめることができました。セルフカウンセリングのような作業だと思いました。

「毒親+複雑性PTSD」と「中皮腫+がん」、棲み分けたいと思いました。

ですのでこのブログでは「がん」について綴ります。

人生をどう生きるか、それは人それぞれ違いますし違っていて良いのです。そして情報は多ければ多いほど、自分の探し求める方向へ向かう道標が見えやすくなります。

アスベスト救済については環境再生保全機構へ。

治療の選択等については医師とご相談されるのが間違いがありません、私が綴る必要がないと考えております。

(※アスベストに関する全ての団体・患者会・家族会等には属しておりません※今後も属しません※全て個人発信です※)

私が投稿したいのは、

女性として、未成年の子どもの母親として、主婦として、ある日突然「余命のあるがん」と宣告されてからの気持ちの変化。

どうこの8年を歩いてきたか

告知直後、ブログは生々しい現実を突きつけられる事もあるけれど、参考になり、私の進むべき道を考えるためにとても貴重な情報源でした。

生の声、これにどれだけ有限を生きるための逆算に役立ったことでしょう、そして今もなお終焉へ向け自分を鼓舞し続け「様々な感情」と一緒に歩いて行くため、

もう一度、がんと向き合ってみよう

と思います。

あくまでも、人生を前向きに生きるための参考のブログにしたいので、誹謗中傷等、私の方で不必要と判断したものに対してはそっと処理させていただきます。

有限の時間をどう生きて行くか、しばし私の戯言にお付き合いくださいませ。

改めて、【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】をどうぞよろしくお願いいたします。

by 中皮腫患者mochi